発想の現場としてのドローイング・アーカイブプロジェクトについて
「a(描く)⇄b(イメージ)」の関係性を読み解くことのできる芸術資源として
ドローイングは紙などの記録媒体に手を動かし痕跡を残すことで、イメージへアプローチする最も原初的な手段といえる。このプロジェクトの発起人である私自身、描き手としてドローイングを行う中で、描くこととイメージ(ここでいうイメージとは私たちを取り巻く多種多様な「像」のことであり、色や形をもった事物や心象風景から感情まで多岐に渡るもの)の間には相互関係があるということを自認しつつ、その中で描く楽しさを経験してきた。
ここで仮にこの相互関係を「a(描く)⇄b(イメージ)」という簡単な記号で表してみたい。
aからbへ伸びる矢印は「描く行為がイメージを目指すこと」、bからaへ伸びる矢印は「描かれたものが別のイメージを連想させ次の描く行為を誘引すること」という関係がつながっていることを指している。つまり、ドローイングは、ある像を創造する側面と、ある像へ導く側面とが入れ替わり立ち替わりながらドローイングが行われており、どちらが先かということは厳密には言い当てられない。そしてその関係性は、意識下であったり無意識下であったりと、その時により様々で、また人によっても立ち位置は色々であることは想像に難くない。いずれにしても、描くこととイメージの関係は一方通行ではなく、多かれ少なかれ行き来しながら手を動かしていることに、描く行為を人々が手放さない秘密があるように思えてならない。
このプロジェクトでは、このような発想の現場としてのドローイングを「a⇄b」の関係性を読み解くことのできる芸術資源とみなしアーカイブを進めていこうとしている。
つまり、ドローイングの役割について、「イメージ」と「描く」という行為の間にある相互関係のありように焦点を当て、様々なサンプルから実態を捉えることを目的に、またそれが後の教育や研究において利用可能なアーカイブとして、ドローイング行為の収集を目指そうというものである。
アーカイブの対象として留意したいのは、芸術性の高いドローイングだけを対象とすることよりも、むしろ途中段階の記録や落書きのようなそれ自体に何かしらの価値判断を下すことさえ難しいものも含んでいる点にある。そのためドローイングの途中段階の画像、作画している様子を収めた動画や、ドローイングに対する制作者のコメント等についてもアーカイブすることを視野に活動を進めていこうと考えている。
C O N P O S T 2023(vol.04)報告書に寄せて・文責:谷内春子